下町の技術屋 清流会

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清流会の50余年のあゆみ
清流会旗
 昭和27年初秋の一夜、当時は省線電車と呼んでいた現在のJR三河島駅に程近いとある一室に小さな会合がもたれた。集う者はいずれも金属プレス加工業者で、進取の気燃えさかる少壮気鋭の士ばかり7名。熱をこめての討議は近隣の同業者を結集して親睦団体を結成。横の連絡と情報交換の場、業界の地位の向上と発展を図るという大目的で清流会と命名し、荒川区を主とした城北地区に多数の賛同企業を得る。昭和28年5月に材料商・メッキ業社・機械メーカー等の参加も得て、70余社で設立総会を開催し第一歩を踏み出した。昭和33年2代目会長の頃、親睦任意団体としての清流会を基盤として、法人組織の都北金属プレス工業協同組合・労働保険事務組合等が設立される。その団結を固めたのは理事長となって永年敏腕を振るった神永清治の熱意によるものであった。昭和37年3代目会長が就任。清流会の運営や内容が軌道に乗り、その存在が業界はもとより一般にも周知せられるようになる。昭和38年4月、創立10周年記念式典を開催。昭和39年4代目会長の頃、高度成長のさきがけが見え始め、話題も羽田モノレールの完成・東京オリンピックの開催と明るく一転。昭和43年5代目会長が就任し、4月椿山荘での創立15周年式典には初めての会員夫婦同伴。この頃より従業員家族慰安会の体制が整う。昭和47年6代目会長が就任。昭和48年5月東京會舘で20周年式典を開催。その頃からプレス業界の全国的団結糾合を目指す気運が高まり、清流会歴代会長特に神永清治・吉川秀男等の永年にわたる尽力と奔走によって、清流会を母体とした、全国のプレス工業会を結集した「日本プレス工業会」「日本金属プレス工業厚生年金」及び「東京都金属プレス工業健康保険組合」等が次々に結成された。昭和49年に7代目会長が就任。昭和53年5月の25周年、58年5月の30周年記念式典は、ホテルニューオータニ・ホテルオークラで業界・政界・行政界、報道界の来賓が多数臨席され、清流会最高の式典となる。昭和59年8代目会長が就任。この頃より会員の高齢化対策のため後継者育成の新たな活動を起こした。昭和63年5月35周年記念式典を挙行。平成元年9代目会長選出、景気低迷の時期に入る。平成8年幹事長交代。平成10年10代目会長になる。
 平成21年11代目小島洋治会長、幹事長のもと各社の2代目・3代目社長が共同受注体制に立ち上がる。(『50年の歩み』記念誌より抜粋)
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